しんぺーの日記

日々のあれこれを書き連ねていく日記のようなブログです

今日は3月9日

今日は3月9日

 

 自分に近い世代だと初音ミクの日であり、少し上かつ幅広い世代にはザクの日かもしれない。

 

 でも誰にも共通な日としてサンキューの日(ありがとう、感謝の日)ってことで「ありがとう」という言葉について考えたい。

※サンキューの発想自体日本語の数字が分かる人のみで誰にも共通ではないかもしれないが。それに芸人のパンサー最近見ないな......

 

 私自身この「ありがとう」という言葉には思い入れがある。どんな場面でも「ありがとう」に置き換えられる言葉は多いものだ。人に何かしてもらったときの「ごめん」、部下などが良い働きをした時の「よくやった」、自分の不甲斐なさからの「ごめんなさい」などなど。これらすべて「ありがとう」に置き換えられる。

 

 最初の「ごめん」は申し訳無さ、気を使った結果の「ごめん」だろう。感謝の言葉にすればいいところだが日本人の癖なのかもしれない。これは「ありがとう」に置き換えられる。

 二番目の「よくやった」は褒める、賞賛する結果の「よくやった」だろう。これも良い働きをしたその人に向けての「ありがとう」に置き換えられる。

 最後の「ごめんなさい」は自分の不甲斐なさといった不足する部分などから迷惑をかけ、申し訳無さの結果からの「ごめんなさい」だろう。これもそんな自分を支えてくれた相手に向けての「ありがとう」に置き換えられる。

 

「ありがとう」に置き換える意味は多くの人の目線を平らにしてくれることだ。「ごめん」「よくやった」「ごめんなさい」などなどは心的、精神的に上下関係を作ってしまう言葉だ。この心的、精神的上下関係を作らず、平らにする魔法の言葉が「ありがとう」なのだ。

 

 なぜ心的、精神的上下関係を作ってはいけないのか。これは正直なところ体験的な部分も大きいのだが、こういった上下関係ができてしまうと人と人の心の距離は開いてしまう。上下関係によって距離というよりも壁ができてしまうと感じ、考えている。こういった距離、壁があると人間関係は仕事のような条件付きの関係(金、義務、責任などによる関係)にとどまってしまい、その関係からは信頼は生まれない。条件付きの関係では信用止まりである。無条件に信じ合える中、それが信頼というものだ。

 

 仕事においても信用のみでのつながりではコラボレーション(チームのメンバーが同じ方向を向いて時間を共有させ、何か付加価値を生むような創造的働きをすること)は生まれないはずだ。これではコミュニケーション(表面上では情報のやり取り、共有ができているが皆が同じ方向を向いているわけではなく、何も生み出せない段階)で終わってしまう。仕事(何かしらのプロジェクト)において皆が同じ方向に向くには信頼が必要である。

 

 この信頼を確立していくことで人は本当の意味でつながることができる。距離や壁も感じない、そういったつながりだ。その本当のつながりが

(知り合い、友人)→(親友)

( 仕事の同僚 )→(仲間、チーム)

などの関係に前進させる。

 人は生まれながらにして人間関係(社会)に生きるしかない。ならこの信頼をより確立することで自分との関係から始まるつながり(人間関係であり社会)をより心地いいものへと前進させたほうがいい。

 

 そのためには心的、精神的に平らな、距離も壁もない関係でなければならない。そのための手近な一歩であり、魔法の言葉が「ありがとう」なのだ。

 

少々感情によった文章になってしまい、理論、言葉の定義ががたがたかもしれないが、「ありがとう」の威力を感じ、あなた自身から実践してもらうきっかけになったら幸いです。

 

(余談)

昨夜バイト中に体調が悪化しました。熱は下がったから大丈夫だろうと思っていたら喉がやられて声がガラガラになってしまいました。咳もひどい。この体調を治しつつ、今後の体調管理を習慣化していきます。

※パンサー尾形結婚発表してた(笑)

 

2017/3/9 自宅で療養しながら