しんぺーの日記

日々のあれこれを書き連ねていく日記のようなブログです

ひるね姫について

しばらく更新が途絶えていましたが、神山監督のひるね姫が非常に良くできた物語だったのであれこれ書かせてもらいます。

 

ひるね姫に関する散らかった考察

物語の中の夢の世界
物語の中の現実世界
そもそもいま私たちが暮らすこの現実世界
の3つのラインで考えたい。各切り口がしっかりとはしてないが番号でリンクさせて書いた。

 

物語の中の夢の世界
1 ハートランド王国
人が機械を作ることがすべての国。そして機械を使ってこそという価値観。
2 魔法を禁じている。魔法とはソフト技術であり、人の手を介さないもの。機械が自らの意思で動くためのもの。自我。人と機械という主従の関係、境界ありきの関係を次へ進めたもの。
3 魔法の使い手としての娘
王は魔法に対して心を開く、価値を認め始めている。王座を狙うもの。魔法のチカラを我がものとして人気になる?
4 鬼が現れる。魔法を持つ機械でないと戦えないという話。ピーチが完全な魔法ではない中間的な部分を演じる機会もあった。人と機械のシンクロとも言える?でもこの段階だと鬼を倒しきれない。魔法は肩を並べるようなイメージ? その後完全な魔法によって鬼を倒す。
5 羽の演出について。根ではなく羽。根は過去思い出、羽はビジョン展望かな?地に足つけることを根とするなら、羽生やして飛んでいく姿は対比的にも見える。おそらくピーチが宇宙に行き、帰れなくなるのは会社の現状との比較。完璧な羽、魔法ではない段階で世論にさらされていることの例え。その後に完全な魔法を持つ娘、ココネだったが、のチカラで戻ることができる、つまりしっかりと飛べたという演出。オリンピック成功との対比になっているはず、現実の方のラスト以降の話とリンク。
6呪いの呪文について
炎上しろとも言っていたし、これは今のSNSをはじめとしたよの評価のことか?鬼に加担するチカラ。
7王、父について。過去は魔法に反対。今は考えを改めている段階。娘からの直接の力なしでは完全な魔法は使えない状況。こちらでは結果としてピーチと娘という夫婦の構図で完全な魔法を使っていく。その後ここね、娘が完全な羽の使い手として機能
8ピーチと鬼。ここはそんなに深くは捉えなくていいのかもな。ただ問題でありそれを敵とした場合の対象の喩えというだけだろう。でも岡山、桃太郎とリンクしているのは面白い。

物語の中の現実世界
1自動車会社
ハード屋さん。人が車を使うことに価値を置く。
2ソフトとして自動運転技術を受け入れない。自動運転技術とは、人がしていた部分を機械が自らの意思?判断で行うもの。運転部分を取って代わる。
3ソフト、自動運転の使い手としての娘
社長は自動運転技術に対しての価値を認め始めている
社長の座を狙う。自動運転の技術の功績を我がものにする?
4オリンピックが立ちふさがる。完全な自動運転による演出でないと世の期待を裏切ることに。現状会社は部分的自動運転までしか確実ではなかった。最後のシーンを通して完全な自動運転を我が味方に付ける形になる?
5羽の話。こっちでこそ過去思い出の根、ビジョン展望の羽ということ。心羽でココネということもそう。羽で飛ぶことは完全な自動運転をオリンピックで行うこと。その決断段階と世論の話、ないしまだ技術的に不完全な段階であるのがラスト前。その後完全な自動運転を間接的に娘からいただく。そしてしっかりと飛べる
6こちらでは世論、会社の危惧などがそれにあたる。現状不完全なので叩かれていると言う状況。
7社長、父について。ハード屋さんの過去から、今は自動運転に対しての価値を認めつつある段階。なんなら手探りに実行に移している。こちらも夫婦としての自動運転の技術が実際のところ。ココネは社長と夫婦の間をつなぐ役割をする?
8戦いの構図。桃太郎と岡山。オリンピックという直近の短さでもって課題を浮き彫りにしている。

そもそも私たちが暮らすこの現実世界
1 機械を使うという現実。人工知能の発達による機械の一人歩きへの危惧している現状
2 今で言う所の人工知能に対する漠然とした受け入れない、恐怖のような風潮。ソフト出会った部分が大きく見て人工知能の話だと思う
3 魔法の使い手は現代だと何か。おそらく人工知能をはじめとした技術革新に関するアーリーアダプター、ないしイノベーターのことだろうな。そもそもITの素養のある若者世代のことかもしれない。これから共生へと向かうに対して変えていく側のこと。
4 鬼でありオリンピックに当たる課題というか世の壁は何か。現代においては…何だろう。シンギュラリティ関係の何かしらかな?自動運転の時の法的なものや何かしらも同じ領域。職業についてとかもかな?そういった世間のイノベーションに関するネガティヴイメージかな?
5 現代における根と羽に当たるものは何か。根は過去にのみ、懐古にのみという視点。羽は今までを踏まえてより良いものをという視点からなる革新的な視点。世間一般の変化に対する消極性、悲観的な目線に対する主張だろうか。変化を恐れず前向きに行こう!という羽的な主張の表れか?ここでも人工知能についての世の云々を感じられる。
6 呪いの魔法であり、作中におけるマスコミ、SNS等の風評部分の表現はどんなことを示しているか。これは割と物語の中の世界のことが直でリンクしているかもしれない。下げる、落とすといった批判をやめないかという意味か。漠然とした不安や変化への恐怖のみを掻き立てる、考えることを放棄させる洗脳的恐怖、不安、批判の駆り立てに対するアンチテーゼ?マスコミ、SNS辺りに対する歪さに対するものか。
7 王、父の存在について。以前は新しいものに対するアレルギーでもって受け入れなかったが、もっと早くに価値を見出せていればということで変化しようとしている段階。これは社会全般の上の世代に対する見本的なものかもしれない。耳を傾けよう。取り敢えず否定は止めてみよう。まだまだ変われます、という前向きな要素も強いことと思う。
8 鬼、オリンピックに当たる課題とは?おそらく物語では2020のオリンピックという形をとっているが、人工知能に対する世の雰囲気のことや実験室科学系=科学であり世の中にそれそのものが浸透しすぎていることといった大きな課題を意味しているのではないか。人工知能に関しては共生へと向かっていることをただただ表現していたはず。いままで人がハードを支配してきた構図であったが、今後は共生へと進もうという話。支配されるのではという漫然とした不安の視点に対する前向きな見解でもらうだろう。支配する、されるの視点から共生へ。人工知能に関してはこの主張に尽きるはずだ。またここでいう実験室科学とは野外科学(民俗学、地理学など)との対比にあたる。実験室科学は一般的、普遍的、再現可能、無個性、客観、分析、数値的尺度などなどのことである。野外科学とは固有的、限定的、唯一的、個性的、主観も主観と分かればそれで良い、探検と観察と集積からの関係の創出、評価や価値も人それぞれで良い、というもののことである。今の世がこの野外科学的な領域が無視され、それがゆえに各個人の評価や価値は他に依存し、主観的、情緒的なものが無視されがちな世の中になってはいないか、ということだ。身近なものとしてSNSやマスコミなどが浮き彫りになるはずだ。呪いの魔法という喩えを取っていたが、その呪いとは歪に浸透した実験室科学系のみの科学的世の中のことだと思う。実験室科学系が悪いと言っているのではなく、偏ってることが当然、そこに気付けない世の中そのものが歪ということだ。きっとみな息のしにくいことと思う。その一部分を限定的現実である物語の上で一例として形付けたのではないか。

 

まとまってはいなく、ひるね姫というものが社会に対する強烈な風刺、比喩になっていることにいろいろと思ったので書きました。この風刺が前向きな視点でもって語られているところもこの物語を良しとする所以にもなっています。

 

2017/4/5

選考に向かう電車の中で