しんぺーの日記

日々のあれこれを書き連ねていく日記のようなブログです

IP、コンテンツ、メディアと情報量

コンテンツ、物語について

今は本、漫画、アニメ、映画、ドラマ、映像作品を生み出しやすくなった。技術によるはず。メディア側の発展により。その結果ピンポイントの情報を届けるためだけのコンテンツが多産される。ニッチを狙ったコンテンツは今やどこにでもある。

ここで注意。コンテンツひとつのIPの情報量は落ちているはずだ。というのも万人受けを狙わなくていい現在、情報量を盛り込みまくった作品は生まれにくい。

高速化されたのは情報量が出揃った後の工程だ。つまりIP段階での高速化、多量化が進んでいるわけではない。コミュニケーション技術の変化でここも早く膨大になりうるが、まとめる工程もあり、流れリズム構成するどん回もある。これらの速度が片付くるメディア工程に追いついていない。その現実も相まって、ピンポイントの練上げやすい情報量の少ないコンテンツを多産する現在に至っている、と考える。

万人受けの情報量豊富な作品の方が良い、というわけではないが、このことを踏まえる必要はあるだろう。

このことを踏まえた上で過去作品、現在の作品に当たると見え方が変わるかもしれない。ひたすら発見する意気込みで過去の情報量豊富な作品を見るのもよし、現在のピンポイント作品で情報を狙って取りに行く、その領域をとがらせるために見るのもよしだ。

もちろん一概に言えないとは思う。作者や製作陣に目を向けて情報量と作品の関係を考えると別の見え方もするだろう。作者に注目して追う、そして作者さえも見えてくるという見方もある。はたまたジャンルを固定してあらゆる作品に触れ、そのジャンルについて網羅的に見るのもひとつだ。

科学技術でメディアを片付くる工程が高速化した。メディアにはめる前の工程はどうだろうか?
そのことから現在の作品と過去の作品の違いを情報量に着目した1つの考え方、といったところだ。

うつヌケを読んだ

最近少し話題の『うつヌケ 田中圭一著』を読みました。

 

うつにどう立ち向かって抜け出したのか、人それぞれの戦い方を漫画で体感できる内容でした。今後うつになる可能性もあると考えると、今この作品に出会えたことは足しになるなと。

 

そもそも色々と発見がありました。

 

なぜ人はうつになるの?

「自分をきらいになるから」「他人を傷つけるのはダメで 自分を傷つけるのはOKなんて絶対にありえない」「子供のころの苦しい思いを心に閉じ込めたままでいる」「自分の心の声をちゃんと聞いてあげない」

 

で、簡潔にどうしたら抜け出せるのか?

「自分を否定するものからは遠ざかり、自分を肯定してくれるものに近づこう」「ささいなことでもいいので必要とされている、役に立っていると実感できる瞬間を持とう!

 

人は本質的に「自分が好き」「肯定されたい」「必要とされたい」

これに抗うと心が弱る

 

うつは「なる」ものではなく「眠っている」ものだと考える。上手に付き合うもの。

 

ステルスうつといううつ予備軍みたいな人は結構多いと思った。そんな人が周りにいた際、周りの人ができることはなにか?なんなら周りの人がしてはいけないことは何か?この本は誰が読んでも得られるものがあると思う。馬鹿みたいにと言われたら怒られるがただ単にポジティブな人もこの本から得るものがあるはずだ。あれこれと無自覚な何かしらに気づかせてくれる。

 

雑なポジティブの押し付けは危険だということに気づく機会になると思う。悩んでいる人と話をする時、いきなり自分の考えでもってアドバイスするのはマイナスなのだ。まず相手の話を聞く、相手の目線で考えることが大切だ。雑にポジティブを押し付けてしまっていた人にこそこの本を読んでもらいたい。

 

まだまだ初学習者だが、ニーチェアドラー、7つの習慣あたりに当たれるだけ当たってみると前を向ける気がするのだが。哲学であるから信じてもたれてはいけない。これらの思想をもとに実践する姿勢を築くうちに前に進める、と考える。

 

『うつヌケ 田中圭一著』が気になる、という人は是非本屋で手に取ってみてください。

小学校低学年時代

以前の幼少期のあれこれに続き、今回は小学校低学年時代のあれこれを書きます。

 

小学一年生:ポケモン(クリスタル、赤)とスーパーマリオアドバンス2の時代

小学二年生:ポケモン(ルビー)、ロックマンゼロロックマンエグゼ2の時代

だったと思います。いや本当にゲームしかしてなかった笑。

 

この頃の僕はかなり阿呆で喧嘩っ早かったです。すぐ誰かと衝突して喧嘩して。でも弱いからいつも喧嘩負けてって記憶はあります。運動神経も全く無かったので。体力テストはCとBだったはず。

 

この頃は近所のお兄ちゃん達に遊んでもらっていました。小学校高学年の方々だったと思います。主にゲームで遊んでもらって、まぁ対戦して負けて。で、俺がワーワー騒ぐんで迷惑かけたなと笑。公園で運動して遊んでもいたかな?

 

もしかしたら俺だけちびなんで、からかわれていじめられたのかもしれないけど、一緒に遊んでくれたお兄さん達って記憶が強いんで、ありがとうございましたってところです。皆さん今何してるのかな?

 

ポケモンの金銀はボックスコピーの裏技がありました。それを使っているお兄ちゃん達のミュウツー6体に俺は普通に育てたポケモンで戦う。そりゃ勝てない笑。でもはっきりと覚えてるし裏技は後に知ることになるんですけど、よく遊んでくれたなと。

 

ポケモンのルビーは大人気で買ったときの記憶もはっきり残っています。近所のゲオに電話したところ1っ本だけルビーが残っていて、それを取り置きしていただきました。買いに行ったところ同タイミングでルビーを求める少年が。電話のお陰で手に入れられましたが、少年には少し申し訳なかったなと。彼はサファイアを購入していました。結果カイオーガのほうが圧倒的に強いのでまぁいいかなと笑。

 

ルビーが夜通しゲームやる習慣が身についてしまった悪習の始まりの原因です。買った日に夜通しやって、3個バッジを取った記憶があります。でもいわくだきをどこで手に入れるのかわからなくストップしました。キンセツシティをしっかり散策しろ!ってことだったんですね笑

 

ベッドで一人で寝ていたことと、枕元に明かりがあったことからよく眠くなるまでゲームに没頭していたな。まだゲームボーイアドバンスなので画面が暗かったです。親が僕の寝ている二階に上がってくる音がしたら寝ているふりをする、と。ほんと夢中だった。お陰でクラスの誰よりも早く殿堂入りしました。それ以降やたらとゲーム攻略が早い人って感じになります。

 

ポケモンとは別で、この時ロックマンゼロロックマンエグゼシリーズとも出会います。この出会いは今思い返してみてもかなり重要な出会いでした。

 

まず、ロックマンゼロ、これが難しかった。後に鬼畜ゲームとして語り継がれるゲームにこの頃出会いました。確かに鬼畜ゲーム。ステージクリアしてもランクが低いとオンボロ、ガラクタ呼ばわりされる厳しさ。でもゼロのかっこよさは一級品です。今でもかっこいい主人公ベスト5を作ったらゼロはランクインする気がします。図工の授業で木で工作するとき、ゼットセイバーみたいな剣つくったもんな。

 

続いてロックマンエグゼシ2。これが僕のロックマンエグゼシリーズとの出会いでした。コロコロコミックを読んでいたので、その影響で始めたゲームが多いってことです。あ、デュエルマスターズっていうカードゲームもこの頃はじめました。まだ出たてのときに誰よりも早く始めました。デュエマはおそらく僕が学校でブーム作ったんじゃないかな?エグゼもそうかもしれない。

 

ロックマンエグゼの世界観やゲーム性の高さは殿堂入りものです。というのもいろいろなゲームに触れてきましたが、あのゲーム性、対戦の楽しさ、ストーリーの奥深さ、科学の取り入れ具合は他にはない圧倒的なクオリティでした。今でもたまにやりたくなるくらいあのゲームのゲーム性は独特で、斬新だったのです。そりゃ流行るよ。

 

俺がロックマンエグゼやってるの羨ましかったのか、友達にカセットを盗まれる事件もありました笑。今だと笑い話ですけど。当時はかなり慌てたな~

 

僕はコロコロっ子だったってことです。そこで影響を受けてあれこれ遊んでいました。小学二年生までは運動もろくにせず、勉強もろくにせず、ただただ遊んでいました。勉強に関しては小学生通してろくにしないんですけど。自由帳に絵を描く習慣はずっとあったな。中学入ってやめてしまった惜しまれる習慣でした。おかげかわからないですけど、人並み以上に絵を描くことできます。それに芸術分野で行くと絵に対する関心は一つ頭抜けてもいます。

 

あれこれ小学二年生までの記憶を書きました。ゲームの記憶ばっかりですけど。正直勉強の記憶とかないな笑。休み時間に外でどんな遊びしてたのかとかもあまり覚えていないです。ドッジボールしてたのかな?ま、それだけゲームに夢中だったと伝えられていれば十分です。

 

2017/5/30

早朝に自室にて

初めて読んだ本

私が初めて読んだ本は『ドロップ 品川ヒロシ著』です。あのお笑い芸人の品川が書いた本です。

 

内容下品です。でも品川の過去が赤裸々に少々盛って書かれていて当時の自分にとって面白かった。何より読みやすかった。

 

小学生のころ私はゲームっ子で本なんて読んだことがなかったです。ゲーム、カード、漫画、サッカー、水泳で毎日遊んでいただけでした。読書感想文も書いたことがなかったです。漫画を描くのが楽しくて、絵は描いていました。だから夏休みの宿題は習字とポスターやってどうにかこうにか逃れていました。

 

『ドロップ』を読んだのは中学一年生のときでした。当時の担任の先生に良くしてもらって、貸してくれたのがきっかけです。先生は20代後半で、先生が当時読んだ本を自分も借りるって流れでした。先生は自分のデスクの中に何冊か読んだ本を入れておいてくれたので、ときに勝手にお借りしました。笑

 

あとから聞いた話では当時付き合っていた彼女(今は結婚なさってます)が読んだ本を借りて先生が読み、その読んだ本をデスクに入れていたんだそう。俺は先生の奥さんの本を間接的に読んでたんですね。笑

 

伊坂幸太郎東野圭吾の本が多かったです。後に俺が伊坂幸太郎の大ファンになるきっかけでもありました。

 

中学一年の俺に素直に当時読んでいる本を貸してくれた先生には感謝してます。今思うとかなりの娯楽小説だったので、俺に本を貸すの少し恥ずかしかったのではないかと思うのです。笑

 

きっと先生は他の専門書や新書、文学作品も読んでいたのかもしれません。でも読書をろくにしたことがない俺に対して読みやすくて楽しみやすい本を並べてくれたのだと思うと本当にありがたかったなと。いきなり新書や文学勧められたら俺は読書するようにならなかっただろうし。後に新書、文学を楽しむ時期も来るので本当にうまく行ったなと。

 

ドロップの内容はよく覚えています。オナニーシーンが多くて中1の俺はたまらなく刺激的?だった記憶もあります笑。先生はどういう意図で俺にドロップ勧めたんかな?笑

 

まぁ当時俺はむっつりしつつもしっかりと性知識と関心は育まれていたので平気だったんですけど。笑

 

その後『陽気なギャングが地球を回す 伊坂幸太郎著』に出会い、晴れて伊坂幸太郎のファンになりました。

 

近いうちにまだ書けていない小学生時代の話や伊坂幸太郎との出会いと発展について書きたいと思います。

 

 

触れずにいたBLの扉が開くきっかけ

今日外出先で仲良くなったお方と漫画やアニメの話で盛り上がりました。

 

その人は男性なのだが、BLが好きということ。あまり周りにいないタイプのお方なので私としては興味津々です。

 

究極の愛の形がBLだと言っていました。周りの目線や偏見があるうえでの愛、つまり二人の関係に忠実に素直に生きる姿が描かれているとのこと。確かに考えてみれば完璧な二人だけの関係を浮き彫りにするいいジャンルでもあるのかと思えました。

BLとは関係ないが、灼眼のシャナのゆーじとシャナの関係に近いものを感じました。あの二人だけの世界、二人だけの究極の愛の世界をBLでは描いているということだろうか?

 

そのBLマイスターが第一におすすめしてくれた作品が『世界一初恋』です。いい機会と思い帰りに漫画を一冊買ってきた。そして早速読んでみたところ......

「かっこいい笑。攻めの側が特にかっこいい!」こんな感想を持つとは驚きです。

 

コミック編集部のリアルなお話と大人のBLの世界をうまく重ねて描いている作品で、コミック編集部のリアルさの点でも読んでよかったと思えました。

主人公のまっすぐ努力を重ねる、負けず嫌いな性格もよく描かれていました。

 

これを期に少しずつ新領域を開拓し、コミック編集の具体的なあれこれについても仕入れていきたいと思っています。

 

やっぱ人が大好きと胸張って推す作品には何かありますね!!たまらん!!

私の幼少期

ここから何回かに分けて、自分の成長を眺めてみようと思います。

 

そこではじめに幼少期をふりかえってみます。幼稚園時代のことですね。

 

まずこの頃の興味関心は何だったか

ゴジラ」「ポケモン」「恐竜」「昆虫」

がざっくりとした夢中になっていたことだと思います

 

普段何していたか

「上記の映画やアニメ、本を楽しんでいた」「お絵かきが好きだったので、上記のキャラクターを描いていた」

といったところだと思います。幼少期はインドアだった記憶があります。先の話ですが小学1,2年時の体力テストの成績の悪さは今でも覚えているほどです。

 

周りの男の子達がゴレンジャーや仮面ライダーが好きなかたわら私はゴジラがかっこよくてしかたがありませんでした。人型よりも大きくてゴツゴツ尖ってるゴジラや恐竜のほうがかっこよくて強いと思っていたんでしょうね。

実家には当時買ってもらったゴジラ関係のソフトフィギュアが保存されています。当時私は怪獣のフィギュア同士をぶつけ合って遊んでいたので、フィギュアの爪や角がかけているんですよね(笑)。

ゴジラの中でもデストロイヤー最終形態、スペースゴジラキングギドラが特に好きでした。

当時は内容はよくわからずに怪獣が圧倒的強さで破壊する姿に心奪われていました。今あらためてゴジラ作品を見直すと結構面白いです。SF要素がしっかりしていたり、はたまた時代の流行を取り入れた表現が組み込まれていてユーモラスだったり。

恐竜は絵を描く題材によくしていました。ティラノサウルスが好きで好きで。ゴジラと好きな方向性は同じだと思うんですけど。

マクドナルドのチキンナゲットの形を思い出してほしいです。当時ゴジラの体を足、胴体、腕、頭に分けてチキンナゲットで作って遊んでた記憶があります。ゴジラの足に似ている形だったんですよね、チキンナゲットが笑。

 

ポケモンに関してはアニメ初期どストライク世代です。周りのみんなもビデオに録画して楽しんでた記憶があります。当時100円の指人形とポケモンパンのシールを集めるのが流行っていました。リザードンのシール持ってる人羨ましかったな~

幼稚園の年長のとき、初めてゲームを買ってもらいました。ゲームボーイカラーのクリアパープルだったかな?クリスマスにポケモンのクリスタルと一緒に買ってもらった記憶があります。

最初は部屋から出られなかったんですよ(笑)どうやって動くのか、十字キーやボタンの使い方もてんでわからなくて。確かお父さんが外に出る手伝いをしてくれたはずです。笑

その後晴れてジョウト地方への冒険が始まります。ですが暫くの間レポート機能を知らなかったんですよね(笑)お陰で毎回はじめからスタートする有様で(笑)何回もやり直す中で1日で3個バッジ取るくらいストーリーを覚えた記憶がありますね。(笑)確かしぜんこうえんでむしとりたいかいに参加するあたりでボックスか何かいじっていてレポートが書かれ、革命が起きた記憶があります。ほんと手探りで冒険してましたね。

そんなポケモンのゲームは今でも現役です。レート対戦はしないのですが、冒険を楽しんで集められるだけポケモンを集める。バトルフロンティアのようなクリア後要素はやり込む、といった楽しみ方です。サンムーンでは子供心に似たワクワクを感じられました。いやぁ......新しいことやストーリーとともに舞台が盛りあがっていく感じ、楽しかったですね。ククイ博士が今までの博士と全く違う、先輩って感じがして、その上でストーリーにガッツリ絡んできて素晴らしい役割を果たしていた。

ポケモンは楽しみ方の多様性がNo1のゲームだと思っています。集めるも組み合わせるもどこまでやり込むかも自由自在。今作では作中の登場人物たちも多様性を伝える役割をうまく担っていたと思います。みんなが各々成長する様子を見れる物語でした。

ポケモンdpあたりまではライバルたちの成長を見れる程度でした。bwではライバルに加えてNという第二の主人公を立てる見せ方が新しかったです。xyでは友達たちの成長が見れるようになっていました。そして今作ではポケモンを持たない人、ライバル、先輩の成長を見て取れるより豊かな構造になっていました。いやぁ本当によくできていたなぁ。

小さな野望なのですが、子供ができたら一緒にポケモンで遊べたらな、なんて考えることもあります。今作はよりそんなことを考えてしまう、子供にとってもより意味のある作品だと思えました。

 

私の厄介なところとして、幼少期の頃情熱を注いでいたものをまだ好きでいることがあります。お陰で幼少期のお話をするつもりが当時好きだったものが今の自分にはどういう意味を持って生き続けているかについて書く場になってしまいました。笑

シンゴジラヒットには他ならぬアツイ思いがあります。後にエヴァンゲリオンにもドハマリするのでより思い入れがあるのですが。そちらはまた機会があれば書かせていただきます。

 

好きで居続けられるものに無限の価値を。これからも好きなままで、でも意味合いが足され、より好きが豊かになっていく。誰にでも何かしらあると思います。その思いを大切にしていきましょ笑

まんがでわかるシリーズを侮るなかれ!

 まんがでわかるシリーズを読んだことがあるでしょうか?

 主に宝島社が出版しているのですが、このシリーズが新書を超える入門書になると思いました。

 

 具体的に

ドラッカーのマネジメント 藤屋伸二監修 nev漫画』

7つの習慣 フランクリン・コヴィー・ジャパン監修 小山鹿梨子漫画』

ニーチェ 白取晴彦監修 nev漫画』

『伝え方が9割 佐々木圭一原作 大舞キリコ作画 星井博文シナリオ』

の4冊を読んでみました。

 

 少し硬い内容といえど、漫画なので1時間から2時間あれば十分読めます。

 正直読み始める前は「所詮漫画でしょ?対して原著に触れてないような軽い内容なんじゃないの?新書、実際の本のほうが意味あるでしょ」と考えていた(と思います......)

 しかし読んだ後の感想は「こりゃ新書の次の教養新書の現れだ!新書にハードルを感じた人でもこれなら読める。それに内容も要所を盛り込めている。それに抽象的でわかりにくい内容も漫画のキャラや物語、図で身近なわかりやすいものとなっていた!本より人に勧めやすいぞ!」といったところです。一言で言うと「こりゃ使える!」です。

 

 本のときは核心、要所が文字に埋もれてしまっていた。人によっては何が大切なのかわからなかったかもしれない。何より初学習者や興味を持ったばかりの人にはハードルが高すぎた。

 新書よりも軽い漫画は核心、要所だけ文字多めで説明するので必然的に浮く。それに物語のページが抽象的だった核心、要所を身近な一例に見て取れるようにしてくれる。

 それに漫画で入り口を通り、原著に触れるという新たなステップができたと考えたい。ハードルが高すぎたので手前にジャンプ台を置いたイメージだろうか。

 

 もちろん読書は大切なはずだ。読書は自身の価値観を広げ、人の声に耳を傾けられる土台を作り上げてくれる。自身の価値観が絶対という狭い領域で生きている人は一声に耳を傾けられない。なぜなら「自分の価値観においていいものか、悪いものか」の二択でしか話を聞けないからだ。

 話を聞く、にも二段階あることと思う。話を聞いて話し手を信じることで話を聞くとする段階。もう一つは相手の話を素直に聞いて認め、自分の価値観の中に留めるという段階だ。自身の価値観が狭く、育っていない人ほど前者の段階に陥るだろう。前者はつまり信じるか、信じないかという話の聞き方しかできないということだ。これでは人は狭く狭く、生きにくくなっていしまう。

 価値観が広がり、豊かになってくると「人はみな違う。価値観なんてものは絶対的に存在はしないんだ」と気づくはずだ。そこで主体的に自分の価値観を考えなければならないとなる。皆違うと認めた上で、主体的に自身の価値観を構えることで人の声に耳を傾けることができるのだろう。人の話を聞ける人は、主体的な自身の価値観がある人ということになる。こういった人は人の話を信じる、信じないの二択ではなく、一つの情報として自分に内に留めることができるのだ。

 

 読書と価値観の話に転じてしまったが話を戻そう。読書は各個人の価値観を広げ豊かにする。読書によって私たちは人は皆違うことを認め、その上で自身の価値観を主体的に築ける。しかし現状読書にハードルを感じる人が多い。そこで漫画が一つ前の段階に位置し、機能しうる。漫画に対する期待がここにあるということだ。

 

 

 少し話がずれますが、もちろん読書は人の話を聞くことで置き換えられるだろう。だが身の回りで常に価値観を豊かにする話手はそうはいないはずだ。ではネットで著名人の話を聞けばいいだろうか?それも一つの手段だと思う。しかしその際、偏った立場の話を聞き続けていないか気をつけなけらばならない。

 

 少し堅くなってしまいましたが、本が難しく断念した記憶のある御方、読書よりも軽く価値ある書に触れたい御方、ぜひ本屋でまんがでわかるシリーズを手にとってみてください。